元旦は、東京は穏やかな良いお天気でした。 子供の頃の元旦の朝は、雪の中で静かに始まりました。 祖父が分厚い新聞を読むとなりで祖母が年賀状を読み、母は台所と居間を行ったり来たりしながらお雑煮の用意をしていました。 そんなことはよく覚えているのに、その景色の中に父の姿がありません。なぜかというと、大晦日に飲み過ぎた父は、朝いつまでも寝ていたからだと思います。 つい昨日のことに思えるに、もう祖父母は亡くなって久しく、お酒が大好きだった父も、飲めない体調になってしまいました。 少し前に気がついたのですが、いつもおどけた顔をして写真に写っていた父なのですが、去年あたりから、なぜか真面目な顔をして写っているのです。 お酒が飲めないからつまらないのではなく、いつ「お葬式の写真」になってもいいようにと、気どってすましているのだと気づくのに、あまり時間はかかりませんでした。 私は「八月のクリスマス」という映画を見たときから、お葬式に使う「遺影」というものに対しての見方が変わりました。 ひょうきんでお酒が大好きだった父は、せめて遺影くらいは、少しきどってすました顔の写真をと考えているのかもしれません。 私自身は、といえば、やっぱり笑っているのがいいかな。 「そうそう、こんな顔してよく笑ってたよね」なんて言われたら幸せかもしれません。 日本人はお正月に一番写真を撮るのだそうです。 このお正月、写真に写る機会のあるたびに、敢えて口には出さなくても、一人黙っておすまししたりほほ笑んだりしているお年寄やご病気の方がいらっしゃるんですね。 だからこそ、日々の生活をあたりまえと思わず、感謝の気持ちを忘ずに生きていきましょう。
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スピリチュアルカウンセラー
光凛
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