• Coulyne

まだ、まし

だらだらと、本当にだらだらと生きている人がいます。 流されているといってもいいかもしれないけれど、その多くは、自分が本来あるはずの姿を見失っているようです。 そうなってしまう原因は、異性によることが多く、過去を振り返ってみると、人生につまずいた原因が異性のことだったのに、そのことをすっかり忘れたような顔をして、また自分を見失ってしまうみたいです。 似たタイプに、恋多き女、などと言われる人がいますが、恋人と別れるたびごとに人生のステージが上がっているから、好意的に、恋多き、と言われる人のことで、それに比べて流されるたびに失うものが多い人は、懲りない人だという言われ方をします。 懲りない人は、だらだらと生きている感覚はあまりないのですが、相手の都合に合わせてばかりいるのだとしたら、やはり流されているわけで、好きなうちは熱くなっているので気がつかないけれど、付き合ってみて、相手ばかりがいいことずくめで、自分は何かと精神的にしんどいことが多いなら、流されているといえるでしょう。 但し、相手の喜びそうなことを片っ端からやってみて、それが自分の喜びでもあると心から思えるなら、それは流されているのではなく自分の意思でしていることです。 それであるならば、愚痴などあるはずもなく、周りからみていてもじつに清々しいのです。 清々しいと思える女性に、最近ではめったりお目にかかることがありません。その代わり、愚痴をこぼしながらも相手に流されている女性が多くなりました。 それでも、一人でいるよりまだましだなんて言う人もいますが、これが物などであれば、『まだ、まし』くらいな物を使う時は、できることなら使いたくない物を短期間にかぎって使うときにに言うのです。 ないよりは『まだ、まし』と思える人や物を近くに置き、それに流されて生きているうちは、本当の幸せにはほど遠いものです。

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ホームページのリニューアル

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと