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プレイバック

もうかなり昔になりますが、山口百恵さんの歌で、プレイバックパートⅡ という曲がありました。 曲中で、何度もプレイバック、プレイバックと繰り返すのですが、誰の人生においても、ちょっだけプレイバックができたらいいのに、と思うことがあるのではないでしょうか。 たとえば今、事故で怪我をして入院中の人だとしたら、できることなら事故に遭う前にプレイバックして、事故を回避したいと思うかもしれません。 しかしプレイバックはできないのが人生の厳しさでもあり、学びでもあるのです。 ところがたまには、まるでプレイバックでもしているかのように、同じような過ちを繰り返している人もいます。 「 今度の人は違う 」 と言いながら、顔が違うだけでまったくこの前と同じタイプの人と付き合って、結局泣くはめになる人もいれば、「 今度の会社は前の会社と違って 」 と言いながら、いざ入社してみたらいろいろ条件が違っていて、これなら前の会社の方が良かったかも、なんて悩む人もいます。 懲りないというか、信じやすいというか、自分では決して同じことを繰り返したつもりではないのに、第三者からみたら、プレイバックを繰り返してしているようにしか見えないのです。 疑うことをしないので、また失敗してしまうというわけですが、しかしここで勘違いしてはいけないのは、疑ってみるのは、相手ではなく自分だということです。 こういう人は、疑がわなくてはいけない観点がすでに違っているので、何度となく同じような失敗を繰り返してしまうものだからです。 共通していえることは、「 優しそう 」 ということを最優先にして、自分と関わる人や会社を選んでいるということですが、これは、寂しがりやだからということです。 相互に理解しあったうえで優しくしてもらうことが大切なのに、それには、かなりの時間を要するものなのです。寂しがりやだと早く結論が欲しいので、自分にとって都合の悪いことについては、見ているようで見ていないし、つじつまが合わない所もわかっているのにわからないふりをして無理にスタートをしてしまうから失敗をしてしまうのです。 最初から優しさをアピールする人、都合の悪いことを言わない会社は要注意です。 そして一番大切なことは、寂しがりやは一日も早く卒業して、厳しいことを言ってくれる人や、あらかじめ厳しい条件を求めてくる会社と積極的に関わっていくことです。

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと