• Coulyne

悲しい誕生日

昨日は息子の、生きていれば34歳の誕生日でした。 今年のケーキは家で作ったのですが、苺がどこのスーパーにもなく、スポンジは焼けているので意地になって探し、四件めのお店でやっと調達できました。 ついこの間まで、どっさり並んで売られていたような気がしていたのですが、気がつけば確かに苺がいつの間にか消えて、替わりに可愛らしいさくらんぼが並んでいるのです。 その様子は、息子が消えて、孫が現れたときと同じようです。 早いもので、この夏で三年になりますが、ちょっとした仕草や笑い声など、今でも脳裏から離れません。 夕暮れどきが寂しくて仕方ないのは昔からですが、息子を亡くしてからはさらに寂しいものになりました。 黄昏どき、見知らぬ路地裏のアパートの窓に灯りがつくのを見て、あの部屋に仕事から帰った息子がゲームでもしていてくれたら、たとえ逢うことは叶わなくても、どんなにいいだろうと思いながら歩く私がいます。

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと