• Coulyne

愛が足りない

一口に愛といっても、薄っぺらの愛、口先だけの愛、そして本物の愛などいろいろな愛がありますが、真実の愛かどうかを見分けるには、見返りを求めるかそうでないかでわかるものです。 また、愛というものはときには壮絶で悲しくて、ことのほか重いものなのですが、日頃から愛という言葉を連発する人に限って、悪気はなくとも、真実の愛とは違うニュアンスであることが多く、また、恋心に近いものを愛という言い方にしている人も多くいます。 しかし、自己犠牲を伴う真実の愛なら、簡単に愛してるとか、愛してほしいなどと軽々しく口にはできるものではなく、また与えれば与えるほど真実の愛というものは溢れてくるので、いちいち言葉にしなくても相手には充分伝わるはずなのです。 男女の愛も家族愛もその他相手を思う気持ちからくる愛情は基本的には同じで、相手のためなら、たとえ火の中、水の中といった、自分はどうなっても、相手を生かしたいというものが根底に流れています。 だから、人に与えもしないで愛を求めたり、愛を与えるのが当然の関係の相手に、恩着せがましい言い方をするのはよくありません。 また、孤独に強く、心や体の痛みに強い人が、人に深い愛情を与えられる人の特徴ですので、すぐに寂しいとか大変だとかを口にする人は、愛は愛でも、自分に対する愛ばかりがたっぷりある人だといえるでしょう。 そういう、与えないからもらえないので孤独になり、また愛が足りないと騒ぎたて、ますます孤独になっていく人、あなたの回りにはいませんか?

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと