• Coulyne

携帯のような人

 携帯電話を新しくしたので、このブログはそれで書いてみました。ちょうど記念すべき10台目の携帯です。 今度新しくした機種は、海外でも使えて、しかも防水なのだそうですが、慣れないせいか使いこなすまでに時間がかかりそうです。  私にとって携帯は、ブログを書くほかに、アドレス帳、目覚まし時計、電卓、辞書機能をフルに使い、さらに電車にも乗り、買い物をするときもあるので、これをなくしてしまったら泣くに泣けない状態になるはずです。 これが携帯ではなく、人間であったとしたら、完全にその人に依存してしまっているわけで、本来なら感謝の気持ちいっぱいで、お中元、お歳暮を送るリストの先頭にいてもおかしくはないはずなのですが、相手が感情のない機械だけに、感謝の気持ちも薄れ、常にあって当たり前のせいか、あまりにも地味で目立たない存在になっています。 そういえば誰にも、存在は地味なのに、じつは最強の味方だという存在の人がいるのかもしれません。  携帯の電池が切れたり、電波が入らなくなると、誰でもパニックになってしまう人が多いと思います。 それに近い存在の、お世話になりながらも、いつも自分のそばにいて当たり前のように思っていた人が、自分の元を去ったり、連絡が取れなくなってからパニックを起こす前に、常に感謝の気持ちを忘れずに、その方を大切にしていて下さいね。

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お知らせ

2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと