人生の中で、金環日食を観ることができた私たちは、本当に幸運だったと思うことにしましょう。 金環日食どころか、4年に一度のオリンピックも、当たり前に観戦できるとは限らないのが人生だからです。 さらに言うなら、桜を観ることでさえ、来年のことはわかりません。 頭ではわかっていたことですが、私も息子を亡くして初めて、明日のこともわからないのが人生だから、毎日を丁寧に生きなくてはいけないということを思い知りました。 また、寿命の外にも、当然のように来年も誕生会をしたり、花火大会に行くのだと思っていた夫婦や恋人だった人との、仲たがいしてしまった別れもあります。 つまらぬ喧嘩が元で、今朝の朝食が、二人で食べた最後の食事になるカップルもいれば、災害に見舞われ、夕べの食事がみんなで囲んだ最後の晩餐になってしまったご家族だっているのです。 金環日食のように、もう生きては観ることができないとわかりきっていることは、この日に遭遇できたことがとても幸運だったことのように思えるのですが、毎年恒例の行事どころか、何気ない日々の暮らしでさえ、本当はとても大切でありがたいことだと思えば、自分の周りにいる家族や友人も、またこの瞬間さえもいとおしく思えてきます。 本当は毎日が、ありがたい金環日食のごとき日々なのでしょう。
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スピリチュアルカウンセラー
光凛
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