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海を見ていた午後

私の場合、なぜか誰かとの別れはある日突然やって来ます。 例えばそれが好きな人であったとしたら、逢いに行くときはまったくそんなことは考えていなかったのに、何かが起きて、帰りには、「 もうこのドアを開ける日は来ないかもしれないな… 」 なんて思いながら別れて、本当にそれっきりになってしまうというようなことです。 だから、別れ話をするために逢う、とか、別れが近いと予感するなどという経験もないのです。 私は、あまり泣いたりすがったりすることができない人間なので、もうこれ以上話し合いをしても、相手に嘘をつかせるようになるだけだとか、それを受けて、自分がヒステリックになるだけだとわかった時点で、もうその人とは逢わない選択をしてしまうのです。 そんな私ですが、ある時、ハッとさせられた歌がありました。 それは松任谷由実さんの 「 海を見ていた午後 」 という曲です。その中に、 あの時目の前で 思い切り泣けたら 今頃二人ここで、海を見ていたはず という詞が出てくるのですが、そのフレーズに、何だか昔の自分がだぶってしまうのです。 きっと、この曲に出て来る女性は、彼の気持ちがすでに自分にはないということがわかって、「去る者は追わず 」と心に決め、静かに別れたのでしょう。だから決して、「 いったいどういうこと!」などと泣きわめくような展開にはならなかったたずです。 そんな出来事が過去の思い出になった頃、昔よく二人で行った海の近くのカフェレストランに行き、あの時もしかして「 別れたくない 」と泣いてすがることができたなら、きっと仲直りして、今も付き合っていたかもしれない…、という感傷にひたっているということなのだと思います。 ただ、その女性が後悔をしているのといえば決してそうではなく、感情のままに口汚くののしりあって別れていれば、もうお互いに思い出したくもない関係になっていたかも知れないけれど、いい思い出がたくさんあった相手だったからこそ、そんなリスクを避けて、静かに別れたのだということなのでしょう。 恋愛ばかりでなく、自分が決めた選択を、信じて生きて行きたいのだけれど、時々本当にこれでよかったのか、と考えてしまうことは、仕事や育児での決断ごとも入れたなら、たくさんあるのが人間です。 また、今さらどうなるものではないとわかっていても、時々過去にタイムスリップしたくなる瞬間が誰にもあるのかもしれませんね。

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと