• Coulyne

生きたあかし

私の家にはちゃんとした仏壇はなく、古いライティングテーブルを仏壇替わりにしてあります。 そんな所でも、これまでたくさんの方に、息子に手を合わせていただきました。 頂くお花の中には、ヒマワリや黄色のバラが多く、多分息子の好みそうな花をイメージして持ってきて下さったのでしょうが、不思議なことに、確かに黄色は好きな色でした。 生前の息子と語しでもしていたのか、企画書や新商品のパンフレットをさりげなく置いて行く人、鮎を釣るときの疑似餌をちょこんと置いて行く人、いつも素敵なキャンドルを届けてくれる人、おいしいお酒を置いて行く人もいて、そこは、息子が生きていたら、さぞ嬉しいのではないかという場所になっています。 ところで、最近の私と娘は、息子が小さかった頃の好物を上げることがよくあります。 それは、ビックリマンチョコレートや菓子パンのイチゴスペシャルなのですが、嬉しそうにシールを集めていたり、美味しそうにパンをほお張っていた頃のことを思い浮かべているのです。 亡くなったときは、その当時の面影に浸りながら涙していたのですが、最近になってやっと、小さな頃の姿を思い浮かべることができるようになりました。 それは、元気だった直前の姿で、もしかしたら帰って来るのではないかという淡い期待が消えて、31年生きた人間の人生に幕を閉じたという現実に、私たちがやっと向き合えたというあかしなのかもしれません。

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと