• Coulyne

祈願したからと安心するのは間違いなのです

私はいろんな人の夢の中に登場するらしいのです。

ご無沙汰しているお客さんの夢に「あら、何々さんお久しぶり」と笑いながら登場したり、カウンセリングの前夜の夢に私がすごく怒った顔をして出てきたから、今日はいったい何を怒られるのかと実はビクビクして来たんですと真剣な顔で言われたこともありました。

さらに私は海外にも飛ぶらしく、アメリカに住んでいるお客さんから、夢の中で「調子にのるな」と怒られたと昨日メールがあったばかりです。

ほかにも詳しいことは忘れたけれど、とにかく私が夢に出てきたと言われることはとても多く、その人たちからは、慌てた様子で電話やメールが来ます。

すべてとは言いませんが、夢に出たといわれる前後には私はその人たちのことをぼんやり考えていたことは確かで、笑っていただの怒っていたとかのパフォーマンスまでは責任が持てませんが、多少の「念」のようなものを無意識に飛ばしてしまっているのかもしれません。

神官、僧侶、霊能者と言われる人の行う「祈願」というものはその延長線にあるものなので、例えば受験や試合のための必勝祈願などというものは、天の神様や仏様にやみくもにお願いするというより、目標達成のための信念なり志を、本人が忘れないようにチクチク念を飛ばしてもらえますよ、という風にとらえたほうが適切のように思います。

つまり一度祈願をしたなら、その後は結構厳しいことも待っているはずで、むしろ目的達成のために節制をしたりかなりの努力をいなくてはならない状況になったとしたなら、その祈願の力は順調に働いていることになるのです。

楽をしたいための祈願などは全くもって無意味ですし、目先のことだけに対しての祈願も同じです。

特に神様に対しては、畏れる(おそれる)-かしこまる、崇める(あがめる)-敬う、といった、人間に対しては使わない言葉をよく使うものですがそれだけ、神様に願ったことと行いが違うとおっかない存在なのかもよ。くらいに思って暮らしていた方がやっかいな問題は起きないはずです。

私は神様とは程遠い人間なので、全然おっかなくないのですが、もしもあなたの夢にお邪魔したなら、あなたのことを考えていますからとご理解下さい。

今夜も良い夢を。

いつも笑顔のあなたでいて下さい。 by光凛

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと