• Coulyne

神社ブームのなかで思うこと。

以前に、こそこそ隠れてすることがひとつでもあるなら、神様さまにお参りする資格はないと書いたことがあります。

私は、それくらい神様というのは「畏れ(おそれ)多い」ものだと思って日々過ごしていて調度よいのではないかと思っているからです。

神様とは宇宙からのエネルギー体のこと。

エネルギーですから、当然パワーがあり、このパワーを御利益ともいうのですが、足しげく神社に通うことで、通う人の気を大きくさせたり、調子に乗らせる作用があることも事実です。

自分には神様がついているなどといい始める人は大抵このタイプです。

しかし、神様は畏れ多いものだと思えばこそ、神様の前に出るときは心も体も清めなくてはいけないし、神様に仕える宮司や巫女には白い服を着ることを求められるわけです。

そして何より一番大切なことは、「謙虚な心持ちである」ということです。

謙虚であれば、常に自分を反省しています。

謙虚であれば、家族でも、ものでも、与えられたものを大切にして、人のものは欲しがりません。

謙虚であれば、大願を願うとき、努力しなくても叶えて下さい、などということは、これっぽっちも考えません。

行きも帰りも人の悪口や不平不満を言いながら参拝し、願うことは金儲けや玉の輿に乗ることばかり、他人の幸せなど一度も願ったことのない人でも、回数通えば御利益はあるでしょうか。

答えは、「あるわけがありません。」

病気全快を願うお百度参りとはわけがちがいます。

暇さえあれば神社に通う人は、どこかで自分の生き方に迷いがあるので、せっせと通わずにはいられないのだと思いますが、迷っている原因は自分が一番よくわかっているはず。

その答えと向き合うには、自分を反省し、強気な姿勢を改めなくてはいけないこともあるはずですが、そこから逃げるために、気分転換のカフェ気分で神社に行く人が、最近とても増えています。

神頼みの前に、まずは自分自身の思考習慣の改善ではないかと感じています。

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと