• Coulyne

私にとっての幸せ

私は早く結婚をして子供を産んだので、みんなから「早く楽ができるよ」と言われて、その言葉を励みにして、友達が旅行だディスコだと遊んでいるのを横目に、せっせと子育てをしてきました。 しかし、その楽になる日はまだちっとも来る様子がなく、せっせと育て上げた子供の一人は亡くなり、これは本当に想定外でした。 さらには、元々悪かった右足をかばって長年歩いていたため、右足も悪くなり、結局両方の足が悪くなったのも想定外でした。 友人の殆どは、独身の人は自分のことだけ心配していれば良い人ばかりで、そうでない人はご主人の稼ぎで、習い事に明けくれています。 せっせと働いている仲良しの友人もいますが、この人は結婚生活を途中で切り上げて家出をしてしまったので、自由を手に入れた替わりなのでしょう。 と、ここまで書けば、私は不平不満の毎日を送っているように感じるかもしれませんが、そうではなく、私は人にはそれぞれの人生の負荷というものがあるのだと思うのです。 世の中には、親の面倒も子供の面倒も見ないでまだ不平不満を言っている人もいれば、自分の生活をしながら両方の面倒をみている人もいます。 自分のことだけで精一杯の人はそうでもしないと生きていけないからそうなるのであって、私のように親の人脈もお金もなんの助けもなく、少しは楽をさせてくれると思った息子に早く逝かれてしまうような者は、きっと一人でやり抜いていけるだけのものを神様が授けて下さったのだと思えるのです。 それを人生の負荷というなら、負荷はなるべく重い方が力がつきます。 そんな風に考えてみると、自分は不幸どころか感謝しなければいけないのだと思えてきます。 しかし、私のような人生は私だけでたくさんだとも思うのです。 誰一人として子供を亡くすようなことは経験してほしくないし、若いうちはたくさん遊んで、体が動く中年のうちに、旅行でも習い事でもして老いたら子供の世話になればいいのです。 たぶん私には、きっとそれよりもっともっと幸せなことが用意されているはずです。 しかしそれは、自分ではなく、自分以外のたくさんの人を幸せにすることで感じる幸せなのだと最近になって強く感じています。

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと