私は昔から間違い探しのパズルが大の苦手です。 それなのに何の因果か、人の間違い探しに近いことを生業(なりわい)にしているのです。 私も間違うことの多い人生を過ごしてきましたが、だからこそわかることもあるし、間違った後味の悪さも知っています。 時には、何が正しくて何が間違っているかの基準が曖昧な場合もありますが、そんなときは、笑顔で過ごせるかを判断の基準にすることにしています。 例えば離婚は、決してほめられることではないのですが、愛情もなく未来も描けない状態で夫婦関係を継続しているよりは、別れてそれぞれの明るい未来に向けて歩き出した方が良いし、親不孝だと言われようが、親から理不尽な理由で縛り付けられて夢も希望もない生活をしている青年なら、親の反対を押しきってでも家を出て、自分の人生を切り開いて笑って暮らしていくべきなのです。 私は、決して離婚や親の意見に背くことに賛成ではないのですが、一度しかない人生の中での選択肢の中にそれらは誰にも用意されていることだけは、必要がある人には伝えています。 なぜなら、生まれてきたからには、人は幸せになるべきだし、幸せになる努力をすべきだと思っているからです。 人生の岐路で、難しい決断をしなくてはいけないとき、世間体や常識、慣例といったものを一旦頭から外し、笑って暮らせるかどうかを判断の基準にしてみたら、後悔はしないものです。
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スピリチュアルカウンセラー
光凛
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