不思議なことに、ダンナさんととても仲のいい奥さんなのに、よくできた奥さんとは言われない場合が多々あるものです。 いつも仲良く一緒なのは見ていても好ましいのてすが、それは結婚する前までのこと。結婚をしたら積極的に夫婦別々の動きもできる奥さんが、良くできた奥さんだと思われるようです。 名代(みようだい)という言葉があります。 ある人の代わりを勤めるという意味があるのですが、たとえば、夫の名代で妻が顔を出すだけで、夫の顔が立つということがあるものす。 「あなたが行かないなら私も行かない」などと子供みたいなことを言っているのではなく、顔を出さなければ義理を欠いてしまう冠婚葬祭やお見舞いはもちろんのこと、お世話になっている人や取引先から誘われた、観劇やコンサートなども、夫が行けない場合は妻が行くことで、夫ばかりか妻の株も上がります。 「うちは誰も行きません。」 というのと、「僕はあいにく都合が悪いのですが、妻が喜んで出させていただきます。」というのでは、雲泥の差があります。 結婚当座とても評判のよかったはずの奥さんか、年数がたつにつれて評判が下がるのは大抵これが出来ないタイプの女性です。 つまり、新婚当座と状況が変わっているということに全く気がつかないでいるのです。 これには夫の責任もありますが、育ってきた環境がこれほど出る場面もないと言えるのです。 つまり、母親がよき内助の功を果たしているのを見て育てば、自分も当然のようにできるし、父親の悪口ばかり聞いて育てば、夫の立場よりまずは自分を優先するので、夫の代わりに何かをするなどはもちろんのこと、夫に食事を作ることさえ、だんだん面倒になってしまうでしょう。 今時、「内助の功」などというのは古めかしいと思われるかもしれませんが、しかしこれがあるとないのとでは、夫の仕事上の立場が変わりかすく、夫が自営業であれば、良い仕事が来るので格段に仕事の質が上がります。 いつもベタペタしていることは、愛人でもできます。 しかし、妻にしかできないことをしなければ、結婚をした意味がないでしょう。
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スピリチュアルカウンセラー
光凛
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