• Coulyne

言葉にできない

偶然にも去年の今日も息子のマンションを訊ねていたことを、つい少し前にこのブログで知ったのですが、今日何となく息子が最後に住んでいた洗足池の街を訊ねてみました。 まずは駅からすぐの陶器屋さんに寄り、仏壇用のガラスの花びんを買いました。 息子は何かあるたびにこのお店でグラスや茶碗を買ってプレゼントしてくれたのですが、今度は私が息子のために買い物をしたのです。 このお店、生きていた頃は一緒に覗くといつもお休みで、結局そのお店に私が入店できたのは、息子が亡くなった後でした。 住んでいたマンションまでの道は、普段なら鯉が泳ぐ水路に添った趣のある道なのに、渇水のためか水もなく寂しい感じでした。 三年前の夏の盛り、遺品の片付のために辛い気持ちで何度も往復をしたことを考えながら歩いていました。 住んでいないとわかっていながら見上げたマンションの部屋は、今は空部屋になっていたけれど、だったら私が入居したいような不思議な気持ちになりました。 角の自動販売機もそのままで、帰り道の坂を何度か振り返り、たとえ幽霊でも幻でもいいので、自転車に乗った息子の姿がないか振り返ってはみたけれど、残暑が厳しい昼下がりのアスファルトの道には、人影もありませんでした。 もう何もしてあげられないのに、ああすれば良かった、こうすれば良かったと思うことは息子の一生を通して数えきれないくらいあるのだけれど、少しそのことを考えた後には、もう考えるのは止めようといつも思うのです。 この間、孫と一緒にいたとき、オフコースの「言葉にできない」が流れてきました。 「あなたに会えて本当に良かった」 このフレーズを聞きながら、まさに今の心境だと思いながら孫の頭を撫でていたのですが、洗足池から自宅に帰って仏壇に手を合わせていたとき、頭の中でふいにこの歌が流れてきました。 あなたに会えて 本当に良かった 嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない そう思える人が、私にはもうひとりいたのだなと思いました。 そして会えて嬉しかったのだから、あれこれ悔やむことはもうよそうと思いました。 もちろん周りの人全部に会えて良かったと思ってはいるのだけれど、言葉にできないどころか、むしろ言葉にしたいくらいなのです。 言葉にできないって、いろいろな意味がありますが、私にとってはすごく意味深い言葉です。

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと