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タンス

私の整理タンスは、買ってからもう35年が過ぎました。 何度も引っ越しをしたのにどこも傷まずに、今も当時と変わらない姿をしているのですが、それはある意味すごいことだと思うのです。 このタンスは私が亡くなってからも、そんなことは自分には全く関係のないような顔をして存在していくのでしょう。 そういえば、実家には30年近く前に亡くなった祖母が嫁に来るときに持ってきた桐のタンスがまだあり、当然ながら母が嫁に来るときに持ってきたタンスも、いくつか使用中なのです。 日本では人が亡くなると、残された近親者が、故人のタンスを前にして、遺品の整理をしたり、形見わけをしたりします。 引き出しを開けながら「ああ、この着物、お母さんが私の結婚式に着ていた物よ。」なんて言いながら、みんなで賑やにするのは、長生きをしたおばあちゃんのタンス。 なかには、「今年はちょうどよい大きさだったのに。」などと言いながら、遺品の整理をされる、ペタペタとシールの貼られた子供のタンスもあることでしょう。 我が子の産着を入れた引き出しに、介護をされるための肌着をしまう日もやってくるのが人生です。 洗濯したての衣類を引き出しにしまいながら、タンスを買った当時の衣類などは、ただの一枚もないことに今更ながら気がついて、こんなところにも人生があることを知りました。 何十年か先の私の遺品整理は、このタンスの前で「あらやだ、こんな服までとってあるよ。」なんて言いながら、みんなで賑やかにやってもらえたらいいなとふと思いました。

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと