• Coulyne

感謝

おかしなもので、生まれて亡くなるまで、本当に色々な思い出があったはずなのに、普段想い浮かべるのは、亡くなる少し前に過ごした時期の顔ばかりなのです。 音楽に例えたら、イントロも中盤もあったはずなのに、最後のサビの部分だけ耳について離れない曲のようです。それくらい、彼の人生はラスト近くになるほど輝いて、第二章になることもなく完結してしまったような気がするのです。 早いもので、息子が亡くなって今日、二回目の命日を迎えます。 今でもついホロリとすることばかりですが、その度ごとに、 悲しい涙ではなく、私の子供として生まれて来てくれたことへの感謝の涙のようにも思えるのです。 強がりでも何でもなく、今生で彼に逢えたことが本当に嬉しく、それはそれは幸せなことのように思えてなりません。

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2020/5/27 メール受信の調子が悪くしばらく受信する事ができずご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。 本日から復旧いたしましたのでどうぞお気軽にご連絡ください。

6月に思う

かつて住んだ家は近くに田んぼがあったので、6月の夜ともなるとそれは賑やかな蛙の鳴き声がした。 うるさいほどの蛙の鳴き声を聞きながら、田んぼの畦道に蛍を探しに出掛けたこともあった。 生きていたなら中年にさしかかるであろう息子が、小学5年生の姿で私の前で宿題をやっている。 窓の外は蛙の大合唱。 宿題を終えた子供の頭をなでる、まだ若い母親の自分がいる。 私は若い頃に戻りたいとか、人生をやり直したいなどと